美容について

スキンケア、整髪、化粧などの美容行為は古代から世界で行われてきた。現代の美容の概念につながるものは上流階級の人々や、娼婦や役者など一部の職業人にしか普及しなかった[2]。また、古代の美容行為は儀式的な動機や社会的な要請によって行われる場合も多く、必ずしも個人的な美の希求が動機ともならなかった。古代中国では、色白で艶があり程よい血色を持つ肌と、眉毛の形の美しさが男女を問わず容貌の評価の重点とされた。眉毛の形は気と血の循環の正しさによって形成されると考えられたことから、白粉による化粧とともに美容のための鍼灸治療が行われた。『魏志倭人伝』によれば、古代の日本の人々は上半身を朱丹や入墨で化粧し、頭髪をみずらで結う風俗が一般的だったが、中国の美意識や美容文化が伝搬し、白粉を使った化粧や「引き眉」「眉画き」といった眉の整形が行われるようになった。古代以来、化粧は男性が中心に行われてきたが、奈良時代に入ると女性も美容行為の主体となり、メイクの方法も男女で分化するようになった。20世紀以前には、女性らしい・男性らしい体型といった美の規範が普通に語られていた。美容のメソッドはどれも修練に近い辛さがあり、美容の実践者はミロのヴィーナスやハリウッドスターといった具体的なイメージに近づくために努力した。個人主義の台頭した現代では、社会は個人の身体に口出ししないことが普通になり、美容による外見操作は以前ほど難しい問題ではなくなっている。現代の美容は、自分自身の身体に責任を持ち、他者に対して自分らしさをいかに見せるかという自己の理解の問題が焦点となっている。

ヨーロッパではルネサンス期に入り、文芸を通して身体美を賞揚する風潮が発生し、写実的な肖像画が描かれるようになると、女性の身体美への関心が高まるようになった。トマス・アクィナスが自然な肉体美を賛美して以来、美容による人工的な美を虚飾の罪に触れる欺瞞行為として退ける風潮があったが、その規範も16世紀末には緩み始め、白粉による化粧やミルクを使用したスキンケアが普及し始める。